米津玄師
詩的な歌詞に口ずさみたくなるようなメロディーは、
若者だけでなく、幅広い年齢から支持を集めています。
今や日本を代表するアーティスト。米津玄師
メジャーデビューする前から知名度は高かったです。
ですが彼は最初から米津玄師ではありませんでした。
目次
米津玄師ではなくハチとして……
ハチ
忠犬ではありません。
米津玄師のかつてのアーティスト名です。
2009年からボカロで曲を作り、それをニコニコ動画にアップしたところ、一気に火がつき、注目されるようになりました。
VOCALOID(ボーカロイド)とは、ヤマハが開発した音声合成技術、及びその応用製品の総称である。略称としてボカロという呼び方も用いられる。メロディーと歌詞を入力することでサンプリングされた人の声を元にした歌声を合成することができる。
出典:ウィキペディア
ニコニコ動画(ニコニコどうが、略称: ニコ動、ニコニコ)は、ドワンゴが提供している日本最大級の動画配信サービス。事業の拡大につれ、ニコニコ生放送やニコニコ静画など、ニコニコの名を冠し、動画共有サービスの枠を超えた多くの派生サービスが展開されている。また、分野を問わず各界の著名人が注目し、様々な方法で活用している。
出典:ウィキペディア
注目といっても、今のように誰しもが知るアーティストになったわけではありません。
ここで彼を支持していたのは主にニコニコ動画の視聴者です。それゆえ、彼がハチという名前で活動していたことを知らない人は多いです。
2010年には『花束と水槽』、『OFFICIAL ORANGE』という2枚のアルバムをリリースし、一部の楽曲はニコニコ動画だけでなく今はYouTubeにも曲が挙がっているので、興味のある方はぜひご覧ください。
裸の王様は嫌!米津玄師としての勝負!
ハチとして評価の高い楽曲を創り出し、2012年に本名である米津玄師で音楽活動を開始します。その年の5月にはアルバム『diorama』をリリース。オリコン週刊アルバムランキングで初登場6位を記録。
このときハチではなく、
米津玄師として活動を始めたのは大きな意味があったように思われます。
VOCALOIDで成功した人って、みんな思うことだと思うんですけど『※初音ミクの隠れ蓑にはなりたくない』って気持ちがあるんですよ。初音ミクは見てくれも可愛いし、ポップアイコンとして一流だし、何も意見しないじゃないですか? そういうのってクリエイターとしてすごく楽なんです。でも「裸の王様かもしれない……」って不安から抜け出したかったんです。
※初音ミク
ヤマハの開発した音声合成システム「VOCALOID」に対応したボーカル音源で、メロディや歌詞の入力により合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することができる。息継ぎ、強弱も入力可能。また、声に身体を与えることでより声にリアリティを増すという観点から女性のバーチャルアイドルのキャラクターが設定されている。
出典:ウィキペディア
米津玄師のデビューのきっかけ
米津玄師として始動し、アルバムもリリースしたわけですが、このときはまだメジャーデビューはしていません。いや、そもそもメジャーデビューの必要性はあったのでしょうか。
メジャーデビューはしなくてよかった??
ある程度の知名度と実績もあるので、
勝手にファンがついてくるものかと思われますが、
インタビューで次のように話しています。
それは僕も強く必然性を感じていたわけではないんですけど……けど、結局誰と作るかだなと思って。自分が作る音楽にちゃんと理解があって、同じ熱量で同じ方向を見てくれる人とモノを作るっていうのが一番正しい姿だなと。だからたまたまそういう人がいるのがメジャーレーベルだったっていうだけのことですね。
出典:音楽ナタリー
米津玄師に自由はいらない!?
アルバム『diorama』は
作詞、作曲だけでなく、歌唱、演奏など、必要な部分を独りで担いました。
そういった経緯もあるので、
逆に誰かと作るとなると米津玄師のオリジナリティがー失われる!
とも個人的に考えたのですが、反対に自由があるがゆえの苦しさもあるようです。
でも、その煩わしさが欲しかったりもして。
今まで全部自分1人で作ってきたじゃないですか。
だから何をするにも自由で、自分本位で行動することができて。
朝いつ起きてもいいし、いつ曲作り始めてもいいし、いつやめてもいいし。
なんにもこう、根ざすものがない生活を長らく続けてきたんですよ。
で、それを続けていくとですね、なんかやんなってくるんですよね。自由すぎると逆にどこにも行けなくなるっていう感覚があって。
結局何かひとつの方向に進んでいくためには、
寄り添うものがちゃんと寄り添い、
それと同じくらいお互いを縛り合うことが必要なんですね。じゃないとあっちこっちいっちゃうんですよ、意識が定まらなくて。
やっぱそういうのって健康的じゃないし……弱いなと。背負うものが何もないから。出典:音楽ナタリー
一人で創作活動を行うことに対して危機感を抱いていたようですね。
自由すぎると逆にどこにも行けなくなるって、なんとなくわかる気がします。
晩御飯何が良いって聞くと、
何でもいいと言われたときと似てるかな?
なんでも良いと言われると、自由に何でも作れるけれども、何を作って良いかわからない。
例えが適切であるかわかりませんが汗、
なんにせよ彼はその後Lemonなどのヒット曲を連発することになるので、
この決断をした意味は大きかったのではないでしょうか。
まとめ
最後に今回の記事をまとめますと……
- 米津玄師は初めから米津玄師ではなく、ハチとして活動していた。
- ボカロを用い、ニコニコ動画で曲をアップしたところ一気に火がついた。
- ハチではなく、米津玄師として活動し始めたのは、初音ミクの隠れ蓑になりたくなかったことと、裸の王様かもしれないという不安から抜け出すため。
- メジャーデビューしたのは同じ熱量を持った人と曲を作りたかったから
- 今まで自由に創作活動を行ってきたものの、一人で自由に活動することに危機感を抱いた。
それでは最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。